生きる意味という傲慢さ
生きる意味とか、価値とかの話。
君は何のために生きているのかと問われた時に、答えられる人はどのくらいいるのだろうか。
死ぬために生きているんだ。
生まれたから生きているんだ。
まぁ、わかる。
何のために生きているのか分からない。
なんて事言ってる奴は、傲慢過ぎると思わないか?
俺は思うね。
そういう奴の発言ってのは、
自分に何か才能があって、価値があって、それをまだ見つけられていない。
だの
自分に価値を見出さない世界が、周りが、環境が悪いんだ。
なんて平気で思っていそうでムカムカする。
自分に価値があるとか、使い道があるとか、運命とか、特別だとか。
そんなの思うな。自分が世界の一部かのように振る舞うな。
そんなのは傲慢な態度に他ならない。
生きる意味。そんなものは、
飯を食べた時とか、サウナの後の水風呂とか、仕事終わりのビールとか、セックス後のタバコに感じていればいいのだ。
その方が余程人間らしい。
異質な物を迫害して、拒否した人間ほど後になって個性が無いことに悩む。
生きる価値に悩む。
迫害したものが、特別だった事に気が付いて、後悔すればいいと思うね。
異質だって英語じゃスペシャル。
特別なのだ。
マイノリティが世界を作っているのだ。
マジョリティに紛れて生きてきた人間に、今更しのごの言う権利など無い。
憧れは憧れのまま終わらせた方が良い。
夢は夢で、叶わない方が美しい。
机上の空論が、SNSでのうわ言になった現代において、
発信する側になるのか受信する側になるのか。
この差は大きい。
私は、一呼吸に生きる意味を見出せるほどの濃厚な人生を送りたい。
私は、異質で特殊でスペシャルでありたい。
私は、傲慢で貪欲で怠惰な自分が割と好きなのである。