好きと博識
詳しくないと好きと言ってはいけない
みたいな風潮がとてもきらい。
より詳しい人間がファンの中で、マウントをとるように偉そうにしている事に凄く不満を持っている。
詳しいことは凄いことだし、いい事だ。
でも自慢する必要は無い。
好きに順位を付けて、独占しようとすることに意味は無い。
アルバム1枚しか聞いたことなくても、それが好き。
1曲しか聞いたことなくても、それが好き。
名前しか知らなくても、それが好き。
全部一緒じゃないか?
その人にとってはそれが全てだ。
全部聴いて、見知って、全部好き。その方がおかしい。
その全てをきちんと判断出来ているのか?
全てを自分の物差しで測りきれているのか?
それは最早、崇拝や信仰のような宗教に近い気がする。
それを好きでいる自分をキャラクターのように、自分で自分を作り上げては居ないか?
それが好きな自分が好きなだけではないか?
自分が好きになれる要素があるのは素晴らしいことだが、そこまで考え出すと「好き」が何かすら分からなくなる。
「目が眩む程何かを信じる事は 時に自由をおびやかす」
好きになって、詳しくなるよりも、
無知なまま直感で好きになる方がより純粋な「好き」だと思うんだよ。
なんとなく好きって、最高じゃないすか?
はくしき
【博識】
《名ノナ》広く物事を知っていること。知識が広いこと。